西国街道 1 (京都 東寺〜向日町)
| 矢取地蔵 旧千本通の正面(京街道の終点) 平安時代初期。 日照りが続き、草木は枯れ果て、人々は渇き飢えていたときのことでした。当時の天皇は大いに憂い、神泉苑(現中京区)にて、西寺の守敏と東寺の空海(弘法大師)に雨乞いを命じた。これがいわゆる「雨乞い合戦」といわれるもので、軍配は空海に上がった。 その後、敗れた守敏は空海をねたみ、待ち伏せして矢を放ったところ、黒衣の僧が身代わりとなってその矢を受け、空海は難を逃れた。 その黒衣の僧は、実は地蔵で、いつしか、矢取地蔵と呼ばれるようになった(矢負地蔵由来記) |
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| 正面右手の道標 「右 やなぎ谷観世音菩薩」 「左 やわた八幡宮 往来安全」 「嘉永七年秋」 |
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